2014年1月24日金曜日

八甲田山(八甲田大岳標高1584m)

八甲田は温泉旅行で出掛けたのが最初でした。
気に入って二度三度と足を運ぶうち、ある日蔦七沼を歩きました。
七沼の中で赤沼は他の沼や散策路から離れた一時間程ぶなの森深くに入った所にありました。
畔に近づける一ヶ所を除いて、深い森が水際まで覆う神秘の沼でした。
沼の畔の朽木に腰を下ろして、水没林の枯木や奥に広がる森をゆったり眺めていたその時、突然水面にさざ波がたち白波が起こるとみるみる大きくなって私達に向かって押し寄せてくるではありませんか!
とっさに立ち上がり後ろに跳びのこうとした次の瞬間、みな面は嘘のように静まって、元の神秘の沼に戻っていきました。
恐ろしさに声も出ない、あっという間の出来事でしたが、あれはヤマセ?
私たちは風を見たのでしょうか!

そのうち八甲田大岳に上りました。
山歩きを始める随分前のことでしたが、山がいいものだと教えられた最初の山登りで、なにより夫と上った数少ない山です。

青森の酸ヶ湯温泉登山口からネマガリタケとダケカンバやブナの樹林を行き、
噴気ガスがのぼる地獄湯ノ沢を渡りました。
青森トドマツの草むらにはゴゼンタチバナの群生、
仙人岱湿原に入ると清楚なヒナザクラの白い花邑が風にそよいでいました。
花の直径は1㎝あったでしょうか、“山ってこんなに美しい花が咲いているの”
高山植物の繊細さ美しさ健気さに心を奪われた最初でした。

湿原の奥に清水が湧いていて口に含むと甘い味がして幸せな気持ちになりました。
山って素敵!
もっともっと先に上ってみたい気持ちでいそいそと夫の後ろに続きました。
 
大岳の肩にある鏡沼まで登ると北海道が見えるというので目を凝らしますが、
津軽海峡の海原が広がるだけで陸地は見えませんでした。
鏡沼の水面に奴さんの様な芽をだした植物“これなぁ~に”?
にミツガシワだと判ったのでした。
山頂から大岳避難小屋を辿るとホシガラスに出会いました。
私たちの前を前をと飛んでいくので道案内されているようでしたが、
ホシガラスはハイマツの実の餌場を移動していたようです。

花が咲き池塘が点在する湿原庭園の上毛無岱から下毛無岱に下る階段の上に出ました。
ウーン…! 夫も唸る絶景でした。

それから季節を変えて三度上りましたが、残念なことに北海道は一度も望めませんでした。

その後子供たちが独立したのを機会に私は山登りを始めました。
夫は剣道八段位めざして稽古に励んでいましたが、武道学科の学生さん達相手の荒修行で膝を痛め、剣道も山登りも断念しなければならなくなりました。

山に出掛ける私を快く送り出してくれる夫に感謝していますが、
やっぱり、山で一緒に上るご夫婦に出会うと羨ましくなります。

百名山100/3座

2004年以前の登山


2014年1月22日水曜日

八ヶ岳 権現岳{東峰2715m、西峰2700m}

観音平から東に三味線滝方面に延びる遊歩道に入ります。
樹林の中の笹の道を古杣川の堰堤まで一旦下って急傾斜の左岸尾根を登り返すと、アトノ尾根の基部を回り込む平坦なトラバース道になりすぐに三ッ頭登山口からの小泉ルートに出合いました。

もう1本東の大泉ルートに比べると小泉ルートを歩く人は少ないようで登山道の笹が伸びていました。
延命水への道を左に分けて苔むした露岩が目を引く自然林を進み、樹木が育って展望台とは名ばかりの早乙女河原展望台を見送ると、笹すべりの急登が始まりました。
ガスが古杣川の深い谷筋から上ってきて辺りを幻想的に包みます。
笹の下草の中にジグザグに切られた登山道は、まっこと息が切れました。
ダケカンバやシラビソの灌木帯を抜けた砂礫地の一角、
ヘリポートで漸く視界が開けて一息入れます。

再びシラベやコメツガの樹林帯に入って標高差130mを上ると木戸口の指導標、
大きなダケカンバが目立つ小ピークで、花の時期はお花畑になるようです。
木戸口から先は尾根が狭まって岩場も現れます。
三ッ頭0.5Kmの指導標を過ぎると標高2560mで大泉ルート(天女山)に合流、
一登りで三ッ岳山頂に到着しました。

正面に山頂部が左右に切れ落ちて尖った権現岳を望みます。
山頂へと続く急斜面の登山道も見えていますが、ここからはまだありますね。
右の阿弥陀岳や赤岳方面はガスが出て…見る間に権現岳の方まで流れてきました。
稜線の東側を上手い具合にガスに削られた権現岳は見えないことが迫力を生み、
さっきより大迫力で迫ってきます。

三ッ岳山頂からハイマツ帯を鞍部に下り、次のピークを巻いて鞍部の岩稜帯を進みます。
ザレ場を登って短い鎖で岩場を越えるとそそり立つ岩壁の下に立ちました。
岩壁を巻いて出てきた長い鎖で岩稜を登ったところが頂上基部でした。
岩峰左の岩を5・6m登ると石のほこらが祀られ、岩峰の頂には鉾が奉納されていました。
赤岳や阿弥陀岳にはガスがかかったり切れたりの繰り返しです。
富士山は朝からよく見えていましたが、南アルプスの北岳、甲斐駒ケ岳や仙丈岳も望めます。

岩峰の基部に降りて八ヶ岳主稜の縦走路を分けて左に権現小屋に下ります。
小屋には歩荷中の張り紙がありましたが、小屋の戸は開きました。
中をのぞくとやっぱり留守でしたが、展望室(扉に書いてありました)を拝借しました。
扉を開けて、なるほど合点がいきました。
赤岳が額縁に入れたかのように目の前のガラス窓にぴったり収まっていたのです。
ただ崖上に小屋を被せただけ(?)の造りですから、崖下から吹き上げる風が強すぎて、巻き上がるような恐怖を覚えて、赤岳の展望を眺めただけで出てきました。

心配したギボシ(西峰)の下りでしたが、長い鎖を頼りに無事しのげました。
ノロシバから振り返るギボシ岩壁には肝を冷やし、
巻道とはいえあそこから下りてきたのかと相棒と頷き合いました。

コルの青年小屋の赤い屋根がみえています。今日はあの小屋にお世話になります。
終盤の鎖場は特に注意をはらって岩稜を抜け、ハイマツの礫地を辿り、低い木立を抜けると青年小屋に着きました。

翌日は雨になり、編笠山の展望は望めないので巻道で押出川に出て、
観音平に下りました。


9/28 観音平…0:35…十字路…45…早乙女河原展望台の標識…1:00…ヘリポート…0:20…木戸口…1:10…三ツ頭…1:00…権現岳…1:15…青年小屋

9/29 青年小屋…50…押出川…1:10…観音平

標高順位 権現岳88位

2008‐09-28~29 登山


笹ヶ峰(標高1859.4m)~ちち山・寒風山

私が、笹ヶ峰と聞いて最初に思い浮かべるのは頸城山域の妙高・火打山麓の笹ヶ峰でしたが、
四国にも標高1859mの笹ヶ峰がありました。
南尾根のブナの森と山小屋の丸山荘の主、片山さんとの出会いは
楽しい思い出になりました。

寒風山の桑瀬登山口駐車場に車をデポして、徒歩で大座礼林道に入りました。
折悪しく雨が降り出したので未舗装の林道を傘をさしてのんびり歩きはじめると、

ダンプカーが1台前から走ってきました。
大座礼林道は側壁の工事中で、30分ほど重機や作業の人々の間を歩かなければなりませんでした。
漸く工事現場を過ぎると林道がカーブする辺りに滝が現れました。
幾筋もの白い流れを落とす美しい滝を眺めているうちに想定外の緊張から解放され、山モードに戻れました。

尾根の取り付きを探して進むと、赤布を縛った棒が挿してあるのが目に留まりました。
地図を見ると標高1130m、ここでよさそうです。雨具をつけて森に入っていきます。

平坦な植林地から傾斜を1段上ると対岸の山腹を走る林道が見えます。
先に延びた大座礼林道が見えているのでしょうか。

背の高い煤竹の踏み分けから雑木林を辿ること40分ほど、霧に浮かぶぶなが見えてきました。
幹回り4~5メートルはありそうなぶなが一目5・6本、幻想的なブナの森です。
雨は気にはなりませんが、それより14時だというのに霧に浮かぶ静寂の森は薄暗く、帳を一枚おろしたようです。
樹勢をいきわたらせて、梢を一斉に天に差しだす黒々とシルエット化したぶなの様子は、大樹をより大樹にみせて、迫力に息をのみます。
そんなぶな達を前に佇んでいると、ぶなの精や森の精霊のことが頭をよぎりはじめて落ち着かなくなりました。
そろそろ先に進みましょう。

標高1570mまで登るとそれまでのぶなに変わってダケカンバの林になりました。
標高を上げるにしたがって木々は灌木にかわり、笹原が辺りを覆うようになりました。
傾斜が最初に比べると緩んできましたが、笹の丈が胸の高さになって柔らかな滑りやすい踏み分けを、

足で探っては、濡れたササを下から掴むので、手袋はもちろん、袖口から笹の雫が入ってきて往生しました。

ガスに曇る笹ヶ峰山頂には誰もいなくて、冷たい風が吹き抜けていました。
山頂標の隣に一等三角点、そして石垣を積んで祠が祀られていました。
今度は祠の石垣の前から北斜面を、本日の宿丸山荘(標高1525m)に下りました。

小屋は無人でしたが、予約が入れてあるのでそのうち誰か来るだろうと、
竹樋に引いた流れで靴を洗って待っていると間もなく年配の男性が上ってきました。
丸山荘の御主人片山さんでした。

薪ストーブで温まった部屋で鍋をいただきながら色々な話を聞きましたが、

一番印象に残ったのは、丸山荘の古い住人の話でした。
ある日丸山荘にやってきたご夫婦にその住人の話をすると、奥さんが“みたい”といわれたそうです。
そこで片山さんは仕方なく二階の屋根裏部屋に奥さんを案内しました。
部屋に入った奥さんは辺りを見回して一番立派な1つを手に取ると、

「これをタンスの中に入れておくと着物が増えるのよ」といってクルクルクルと巻き始めたそうです。
住人とは青大将のことで、奥さんがくるくると丸めたのは、その抜け殻でした。
片山さんが先代から小屋を受け継いだ時にはすでに住みついていていたそうで、
初めて屋根裏部屋に入った片山さんは目を見張ったといいます。
2メートルもある抜け殻が、天上から簾のように何本も垂れ下がっていたからです。
「いまもこの上にいるんよ。」
「モーターの上が温いけん、あっちの方じゃわ」と奥の天井を指さしました。
蛇は気持ち悪くて嫌ですが、青大将を住人と認めて半ば慈しむ片山さんの語り口は、
不思議とそんなことを感じさせませんでした。
囲炉裏で乾かしていた登山靴の小端のゴムがめくれかかっているのに気がつかれた様で、

朝起きてみると、修理されて気持ちよく乾いた登山靴が土間に揃えてありました。
外の寒暖計を何度も見に行って、
「-1°じゃけん。起きたときは-3°あったけん山は雪かもしれんぞな気をつけて!」
「ありがとうございました、お元気で!」

ちち山を回って寒風山から下山します。
丸山荘の裏から傾斜のある尾根越えで二重山稜地形の紅葉谷にでて詰めると
笹ヶ峰山頂とちち山の鞍部(もみじ谷分岐)にでました。
この辺の針葉樹の樹林は、夕べ教えて貰った貴重なシコクシラベの純林でしょうか。
稜線を左に標高差100m弱、最後は岩場の急登でちち山山頂に着きました。

久しぶりに晴れました。
昨日上ってきた笹ヶ峰南尾根が手に取るように見えます。
冠山と赤石山系の山々、笹ヶ峰の展望を楽しんだら笹ヶ峰に向かいます。

笹ヶ峰山頂ではイブキササの斜面から下らないと南尾根の起こりは確認できません。
笹ヶ峰は西側の展望が素晴らしいです。
笹原の向こうに連なる稜線の先に鋭角なピークを起こすのは寒風山、その奥に伊予富士、

右に蛇行して西黒森、瓶ガ森と続いて後方に控える石鎚山が大きい。
寒風山は霧氷で真白です。

朝陽が溶かさないうちに寒風山に行ってみましょう。
縦走路の霧氷が南に向かうほど発達しています。
朝陽にキラキラキラとまぶしく輝いてこんな見事な霧氷を見たのは初めてです。
たまりません、誰もいないのを幸い、満足のいくまで登山道に立ち止って眺め、写真を撮ります。

愛媛と高知県境の寒風山は瀬戸内海から冬の冷たい季節風をまともに受けて
雪煙を上げる名前に恥じない寒風の山なのだとか。
きょうそんな寒風山の片鱗に出会えたのは幸せでした。

寒風山山頂で桑瀬峠の登山口から上ってきた最初の登山者と出会ってから、
1630標高点ピークで前方の黄色と赤のウエアの登山者に気がつきました。
ハッとする色彩の妙、石鎚連峰を背景に垂崖の上の立ち位置がまたよく、
今でもその光景がまぶたに焼き付いています。

写真は、PCの故障で飛んでしまいました。
逃がした魚は大きいといいますが、そんな心境がよくわかりました。
それでブログも始めました。


200名山 100/44座

2010-11-15~16 登山




 


2014年1月16日木曜日

瓶ヶ森・伊予富士・東黒森 四国吉野川源流の山

いつもは一日一座を基本に山登りをしていますが、今日は特別に瓶ヶ森、伊予富士、東黒森、
笹ヶ峰の三山に上ります。

土小屋から瓶ヶ森林道に入るとシラサ峠まで行く間に石鎚山東面の姿が美しく望める場所があります。
昨日はここで、直角三角形に右に片流れする石鎚山が朝の光に浮かびあがる姿を眺めて、
土小屋に向かったのですが、きょうは期待の展望はガスの中です。




最初に瓶ヶ森に上ります。
瓶ヶ森(標高1896m)の広い登山口駐車場に車を停めて石畳の登山道を上って行きます。
すぐに右に男山の分岐が出てきますが直進して氷見二千石原に入っていきます。
ガスが、時々一部分だけ切れて緑濃い笹の原を垣間見せますが、またすぐに閉じてしまいます。
氷見二千石原を横切って瓶ヶ森ヒュッテの方へ進むとヒュッテの手前で女岳への縦道が出てきたので、

ヒュッテには寄らないで手前の縦道を辿ります。

瓶ヶ森とは水瓶の森という意味もあるのでしょうか、登山道は登山者の踏み荒しの後を雨が削った削道が散見され、心が痛みます。

女岳山頂には若者が一人、真白く霜が降りてピーンと冷え切った冷気の中に、テルモスを持って立っていました。「さっきから霧の晴れるのを待っているのだけれど、冷え切ってしまって...
」と言って諦めて縦走路の方に去りました。
邪魔をしてしまったかなぁ?私は稜線を男岳へ辿ります。

女岳の山頂直下左に笹ヶ峰への縦走路が出ています。この縦走路は石鎚山から赤石まで延びているそうです。この稜線は愛媛と高知の県境尾根だそうですが、西面の平坦な氷見二千石原に比べ東面は切れ落ちています。
女岳には祠と三角点がありましたが、男岳には祠が二つそれぞれ権現様が祀られていました。

男岳に移る間も氷見二千石原も展望も瓶ヶ森は沈黙したままでした。
私も諦めて男岳から下山することにします。

登山時間も1時間30分位で、いつでも気軽に上れる山ということですが、
氷見二千石原や石鎚山、四国の山の展望や景観は素晴らしいそうです。
瓶ヶ森ヒュッテや私が立ち寄らなかった瓶壺と呼ばれる湧水池やキャンプ場もあります。
よく晴れた日に訪ねたい山でした。

駐車場に戻って次は伊予富士に向かいます。

一昨夜はガスが出て怖い思いをした瓶ヶ森林道でしたが、
きょうは瓶ヶ森林道のおかげで瓶ヶ森も伊予富士も手軽に登ることができます。

瓶ヶ森を下山すると、20分くらい東に走って伊予富士登山口の広げられた路肩に駐車しました。
もう1台車が着いて単独の男性が先に出発していきました。

取り付きの梯子を上って林道に橋を架ける小さな沢を横切ります。
一面のササ原に切られた登山道です。
笹に貼りついていた霧が朝陽に融けてズボンが瞬く間にビショ濡れになりました。

トラバースしながら西へ東黒森との鞍部まで進んでから今度は東に方向転換して伊予富士に向います。
登山道は一旦稜線に出たところから南斜面をトラバースしていきます。次第に右下がりの傾斜がきつくなって稜線に出るのかと思ったのですが、稜線から少し南の下がったところを行くようです。

稜線は西条方面から吹き上げる風が強いのかもしれません。
ガスで周辺の展望も利かないので登山道から外れない様に足元に目を配って辿ります。
露出した岩を過ぎ登山道が縦方向に変わるとトラロープも出てきて稜線に出ました。

稜線歩きを少しで伊予富士山頂に出ました。
透かし彫りの山頂表と三角点が並んで立っていました。
先に出ていった登山者が山頂で待ってくれていました。互いに写真を撮り合います。
展望はないし寒いしで二人一緒に山頂を後にします。

前後して東黒森の鞍部まで下ってくると男性は東黒森に寄っていくといいます。
時間を見ると9時過ぎ、まだ余裕があるので私も一緒することにしました。
伊予富士とは逆に分岐を西に稜線通しに進むとすぐに山頂に到着しました。

松や杉に覆われた濃い色の山を黒森と呼ぶそうですが、山頂は一面のササ原に覆われていました。
瓶ガ森林道が通る標高1600mより下は黒森の名にふさわしいクロキの森が広がっているそうです。
2時間15分ぐらいで伊予富士(伊予三山の一つ)と黒森の周回が終りました。


三百名山 瓶ヶ森100/21座       伊予富士100/22座

2010-11-15 登山

つづく




2014年1月15日水曜日

トムラウシ(標高2141m)



ヒグマ用心のフードストッカが置かれたトムラウシ短縮ルート登山口でテント泊です。


やっと朝が来て、きのう夕方から降っていた雨は止み曇り空です。

先輩たちの手際いい撤収作業を感心するばかりで私は何にも手伝えません。

:00いよいよ憧れのトムラウシに上ります。

登山道は木の根が張り出した段差と泥んこ。
靴が汚れるのを気にしていたのは最初だけ瞬く間にドロドロになりました。

泥んこを過ぎると今度は笹の刈払い、滑る足元には危険な竹の切口がのぞきます。

 

 
気が許せない登山道でしたが、
コマドリ沢にでるとサンカヨウやショウジョウバカマの高山植物も現れて一気に楽しくなりました。

雪渓をアイゼンつけて上ること15分で前トマムのゴーロ帯に出ました。

ナキウサギを期待しながら辿りますが先頭のリーダーは見たようですが、
すぐに岩穴に隠れてしまい行きも帰りも出会えませんでした。




 
その代りコマクサが朝露を帯びて待っていてくれました。

初めてみるコマクサです。華麗で気品があり、高山植物の女王と呼ばれることに納得し脱帽です。

脱帽といえばトムラウシ庭園もそうでした。


どの名匠が腕を振るったのでしょうか?と聞きたくなるような岩と植物と水の絶妙な配置。

なによりダイナミックさで日本中のどんな庭園も及ばないでしょう。

天然自然の造形に脱帽しました。

トムラウシ山頂もまた普通の山頂ではありませんでした。

まるでここから眺めなさいといわんばかりに座った幾つもの大岩。


そんな岩のテラスの1つに腰かけてトムラウシ庭園を俯瞰します。

ちょうどその時、到着するのを待っていたようにガスが切れて青空が広がりました。

きのう上った十勝岳、いつか上りたい二ペソツ山もくっきり望まれて無上の幸せを味わいます。

トムラウシありがとう!


07/09短縮コース登山口4:00…5:20カムイ天上分岐6:45コマドリ沢分岐

…7:45前トマム平…9:20トムラウシ分岐…9:45山頂10:20

…トムラウシ公園11:20…コマドリ沢分岐12:20…カムイ天上分岐13:40

14:45短縮コース登山口


百名山100/15座
 

2006-07-09 登山
 
 
 

 

2014年1月13日月曜日

十勝岳(標高2077m)





十勝岳とトムラウシ。生まれて初めての北海道の山に3人の先輩と上ります。

羽田へは車で移動、飛行機は帯広空港に9:50に到着しました。

空港でレンタカーを借りて十勝岳温泉に向かいます。途中富良野で食料を調達しました。

吹上温泉白銀荘のキャンプ場にテント泊の予定でしたが雨で白銀荘素泊まりに変更です。
調理器具や食器は備付けを利用できて、温泉入浴付き料金は2600円です。
清潔な寝具で気持ち良く眠れました。

白銀荘の芝生の気持ち良さそうなキャンプ場を通ってまばらな樹林帯に入ります。

十勝岳爆発記念碑を過ぎ富良野川源流の細い流れを渉ってハイマツ帯に入りました。

白い雪洞のような花房をハイマツの中にもたげるエゾイソツツジが盛りでした。

望岳台からの道に合流すると正面に噴煙を上げる活火山、十勝連峰が望まれました。

噴火活動は1997年以降沈静化していますが、昭和の大噴火から約90年が経過しても
泥流に覆われた大地は荒涼として矮小な植物や高山植物しか見られません。

雲の平分岐で美瑛岳方面を左に分け直進すると老朽化した避難小屋がありました。
(避難小屋はこの後9月に取り壊されて、新しい避難小屋に建て替えられました。)

ここからは溶岩の急斜面の上りをガイドロープに沿って上って行きますが、
昭和火口を過ぎスリバチ火口縁まで上ると傾斜が緩んできました。

左はスリバチ火口の崩壊地、右はグラウンド火口と噴煙を上げる前十勝岳、
赤茶けた不毛の火山灰台地をゆるりと辿ります。

北に進んだ登山道がグラウンド火口の火口壁を巻いて南西に向きを変えると、
積もった火山灰で足元がズルズルと滑る標高差90mの急坂です。

上りきると再び傾斜がゆるんで次の難所は山頂直下の岩稜の上りですが、
わずかの間しのぐと大岩が転がる十勝岳山頂に出ました。

霧雨で展望が利かないのですぐに次の目的地三段山へ、稜線を南西に進みます。

大砲岩からは落石・滑落の危険がある破線ルートですので注意をはらって、
慎重に速やかに岩稜のガレ場を下って行きます。

辺りは西部劇で目にするあの赤い土の荒野の趣です。
点在する岩の陰から今にもインディアンが、マジ飛び出してきそうな雰囲気です。

十勝三段山
危険地帯を全員無事にやり過ごして十勝岳から1:30で
1748m三段山のピークに乗りました。そのころには雨も上がり山頂で大休止です。

安政火口を挟んで端正な富良野岳から美瑛岳、いかにも活火山の荒々しいガリーを山肌に刻む十勝岳と上ホロカメットク山。
十勝連峰の山々のパノラマ展望を飽かず眺めました。

山スキーのメッカの3段スロープのナマコ尾根を下り白銀温泉へ下山しました。
 
下山後リーダーは、シュウ(りえ)ちゃんと五郎さんの入浴で有名になった”吹上温泉露天風呂”に浸かりに行ったのでした。
 

7() 平塚5:006:15羽田空港⇒羽田発8:159:50帯広空港⇒14:35吹上温泉・白銀荘()

8() 白銀荘5:306:30雲ノ平分岐…7:40昭和噴火口…8:40十勝岳…10:10三段山10:3011:45白銀荘13:0017:20トムラウシ短縮登山口駐車場()

 
百名山100/16座

 
2006-07-08 登山
 
 
 
 
 

2014年1月12日日曜日

祖母山(標高1756m)


ほしこがの食堂
祖母山山口の尾平鉱山(地名)は三菱鉱山経営の昭和25年のピークには従業員500人、
人口2000人を数えるだったそうです。
都会の最先端の文化が持ち込まれ、大分県で最初に映画が封切られる繁栄ぶりだったとか。
その繁栄も昭和29年三菱の閉山で幕を下ろすことに

今その面影を残すのは小学校校舎をニュアールした宿泊施設と山肌を埋める鉱石屑。
魚が泳ぎ美味しいお米も取れる今も奥岳川にカドミュウムの中和剤が流し続けられているそう。
祖母山を調べていてこれらのことを知り、廃校のホテルに泊って祖母山に上ろうと思いました。
運営は大分県竹田市緒方町に変わって現在はNPO法人ほしこが”受け継いでいます
(一泊2食7500円、インターネット割引 5%)この日は日曜日でしたが、私以外に、
11年前から4度目来訪の大阪は境に在住のご夫婦とやはりリピーターのご夫婦と同宿でした。

以前家族旅行村だった施設にはバンガローがあり祖母山の登山者はこちらを利用するようです。

尾平鉱山ほしこがの夜は、何もないけれど探していたものが見つかったような?不思議な思いがずっとしました。




ほしこがから緒方町にちょっと戻ったところに祖母山の登山口がありました。

登山口を入るとすぐに周囲の空気になじまない鉱石屑の盛石が山裾を覆っていました。

祖母山はわたしの故郷の山です。
故郷の宮崎側にある北谷登山口から上らなかったのは以上の事情からですが、

登山者の多くは北谷登山口を利用するようです。

黒金山尾根コースは健脚となっていますが、恐れるほどの事はなく魅力的なルートでした。

出だしの川上渓谷沿いの道は素晴らしい癒しの空間でした。
 
凛とした爽やかさに満たされた清流の風景にのびやかなゆったりした気持ちに包まれました。

尾根に取り付く辺りは急登でしたが、森深くまで差し込む朝日の輝きは息を飲む美しさで
晩秋に息づく自然のぬくもりを体いっぱいに感じる楽しい機会でした。


真ん中奥の傾山へ縦走路が延びている。

阿蘇山方面の展望
1時間半ほどで登山道は背丈を越すスズタケの原を辿るようになます。
山頂近くまでこの状態は続き、障子岳・古祖母山への縦走路分岐から一旦下って上り返します。


天狗岩から障子岳方面
 
祖母連山の稜線
 


山頂肩の梯子場を経て、傾斜の付いた一枚岩を登るとひよっこリ山頂に出ました。

すると朝登山口で出会い、宮原コースと黒金山尾根コースの分岐で

「山頂で会いましょう」と別れた人と本当にバッタリ再会。
 
楽しい瞬間でした。
 

振り返る祖母山


09/23尾平黒金山尾根登山口6:45…7:20尾根取り付き(川上渓谷を離れる)
       :35展望所:50標高900m:12標高1100m
       :25背丈を越すスズタケ:30朝食8:40:10天狗の水場9:15
       9:25展望台9:40(古祖母山分岐)10:20標高1700m
       10:32山頂10:45(宮原コース下山)11:20標高1500m
      12:28標高900m13:05尾平登山口下山
 
 
百名山100/69座
 
2009-11-23 登山
 



 
 

2014年1月11日土曜日

三嶺(標高1893m) 高知県の最高峰

剣山とジロウキュウの山頂を踏み、ジロウキュウの肩から西へ縦走路に入りました。
ジロウキュウ山頂の登山者は縦走ではなかったようで、縦走路に人影はありません。

稜線のミヤマクマザサの中につけられた登山道は鞍部でスーパー林道への道を分け、丸石の登りになりました。
丸石と思ったピークは名無しのピークで、丸石はその先をもうひと登りしなければなりませんでした。
北東から南西に糸巻き形地形の丸石は一面熊笹におおわれた草原台地でした。
振り返るジロウキュウと剣山はまっすぐ延びてくる稜線上にまだ大きく見えます。
丸石から下った樹林の中に丸石避難小屋がありました。
小屋から少し上ったピークから奥祖谷の二重かずら橋への道が出ていました。
山仲間がここを上ってきた記録を読んでいて、この辺は初めてという気がしません。

ピークを一つ越して樹林帯を緩く登り平坦地を過ぎると、高ノ瀬の荒れた岩交じりの登山道になりました。
高ノ瀬山頂は一度通り過ぎますが、見つからな山頂に思い当たる節があり戻ってみると、ささやかな山頂標は支柱から剥がれて地面に落ちていました。
それほどわかり難い処でもなかったのですが、隣の三角点も見過ごしていました。

食害?塩害?付近の立木に枯れ木が目立つます。
この現象は稜線の登山道沿いに石立山分岐まで続きました。

石立山分岐から尾根の南側を巻く縦走路は広大な熊笹の草原に入っていきます。
前方に三嶺が、振り返ると剣山とジロウキュウも望まれる絶景地です。
草原を境に縦走路の終了点と出発点がさえぎるものなくつながる光景は、ほかには知りません。
右手に剣山を、左手に三嶺を、草原の真中に立って眺める気持ちのいい稜線歩きは縦走のハイライトです。

1732標高点ピークを過ぎて何気なく右の稜線に送った視線に今日初めての人影が映りました。1700.8標高点ピークのようです。気になったので私も上ってみました。
尾根にも踏分路がついていて稜線通しにもいかれるようです。
やがて夏道に戻ると2つ3つ分岐が出てきて、そのどこからか現れわれた登山者の姿が見られるようになりました。

間もなく笹原の草原奥に白髭避難小屋が見えてきました。
小屋手前の草原から右手に見える大きな山容は三嶺でしょうか、大分近づきました。
小屋をのぞくと登山者でいっぱいでしたので、先に進むことにします。

白髭分岐からカヤハゲにかけては食害で山が痛んでいる印象を受けました。
ネットやテキサスゲートと称する鹿除けの対策も随所に見られましたが、相手が生き物だけに対処に苦労しますね。

カヤハゲ山頂に登ると三嶺は目の前です。
一部鎖場もある急登にスクと遮る大岩がありました。
私にはソクラテスが浮かべた苦渋の表情はこうだったかも?
と想像した味のある大岩の凹凸。
そんな大岩を巻く段差のある階段状の登山道を辿って三嶺山頂に出ました。

到着はお昼頃だったと思いますが、三角点にタッチして食事にしようと山頂から避難小屋のある広場に降りて行きかけて、あぁ!この景色です。
ミヤマクマザサとコメツツジの草原に山頂池と赤い屋根の避難小屋のロケーション。
一度は見てみたいと思った天空庭園です。
三嶺は高知県の最高峰ですが山頂の半分は徳島県なのだそうです。

剣山や石鎚山ほど有名ではないけれど“四国の人々からは一番愛されている山”
とも聞きました。
この日もたくさんの登山者で、避難小屋にはいい匂いをさせて鍋を囲む常連らしいグループもありました。
小屋の入り口に鐘がつるしてあったので太平洋側から上ってくる暖気で濃霧が出るのかもしれませんね。
高知県側にもルートが拓かれていて、実は面白いメインはそちらにあるとも…
無関心ではいられませんね。

名頃に下山したのは、15時頃だったと思います。
その後次の山域の愛媛県の瓶ヶ森近くの宿「山荘しらさ」に移動したのですが、
瓶ヶ森林道経由で到着は19時になってしまいました。

晩秋のつるべ落としの時期、ガスの出た真っ暗な山道の走行は泣きたい気分。
振り返えるに四国山旅の最難関でしたね。

二百名山  三嶺100/43座

2010-11-12~13 登山

剣山からの続き石鎚山につづく



2014年1月10日金曜日

久住山(標高1786.5m) 九重連峰



登山当日の予報はくもりのち雨。関東に比べると九州の夜明けは30分余り遅いのでよけい暗く感じる。
宿の朝食を弁当に仕立ててもらい牧ノ戸登山口に向う。
一面の朝霧、視界5メートルほど。登山口にスットク、木や竹で手作りの杖が一抱えも置いてある。
観光客に使われるのかなぁ。


遊歩道は東屋で終わりその先に登山道が続く。汗かく頃沓掛山の岩場を乗り越す。
扇ノ鼻分岐まではほとんど平坦な火山性の土壌と岩ごろの広く切られた登山道を行く。

ガスが切れて、右手に扇ノ鼻(標高1698)左手に星生山が登って行かんねと誘ってくるが目をつむる。
久住別れに下るガレの道は久住山のトンガリ姿が目の前に広がる好展望、ガスの切れるのを待って一枚。

久住別れの避難小屋を覘くと、この日が寒い日だったからかもしれない、ブロック造りの寒々とした土間でも直ぐに荒天の避難所にはありがたい施設だと思い直した。

久住山は中岳に高さを譲るそうで、高いところが好きな私は先ず中岳から上ることにする。






久住別れを過ぎて登りの途中で久住山のルートを左にそれて尖峰の天狗ノ城に向かう。



御池が薄氷を浮かべている。

 
 


見渡すどの山も霧氷で白くに光って見える。

硫黄山が噴煙を起てている。

 


中岳へは急斜面を慎重に下りまた一登りで到着。
風が強くカッパのシャッポがかしましい音をたててはためく。


さてとっておきの久住山に向かいましょう。 

1120日に改修なったばかりの池の小屋避難小屋の様子を見て、
(エアリアマップに使用不可とある)
御池を半周して久住山のルートに戻る。

ゴーロの斜面が山頂まで続いている。

 

久住山頂にはさっき別れた女性二人連れも去った後で誰もいない。

至福の時、一人山頂の大岩に乗って山々を眺める。  

 

黒川温泉6:30-7:10薪ノ戸登山口7:20…9:05中岳山頂9:10
    …9:30久住山9:40…10:55薪ノ戸登山口11:00 

 

百名山 100/68座

 

2009-11-22 登山 

2014年1月8日水曜日

石鎚山(標高1982m)西日本第1位の高峰


石鎚山南面の愛大(愛媛大学)小屋経由ルートを登って土小屋に周回できないかと考えて
面河渓谷へ行って見ましたが、バス便や石鎚スカイラインの通行時間制限など制約が多く
実行には一抹の不安が残るので、1案は諦めて土小屋に戻ってきました。

土小屋ルートピストンの2案に変更、登山口の石鎚神社にお参りして出発します。

土小屋ルートは登山口から山頂まで4.6K、標高差490m、
4つあるルートの中では、最も安全で最も短時間で登ることができるルートです。

平坦に整えられた登山道がつづきます。左手に石鎚スカイラインが見えます。

右手に見えるのが明日上る予定の瓶ヶ森のようです。

ブナの森の下草は笹が生えています。笹が多いのは四国の山の特徴ですね。

石鎚山山頂が見えてきました。山腹に笹原と白骨樹の景色が広がります。

山頂が正面に見えてきました。こちらに向かって一直線に下りて来る尾根が東稜でしょうか。

東稜基部付近にある休憩所の左手奥に矢筈岩・天狗岳のルートの取り付きらしい地点がありました。面河ルートを諦めたことから、せめてという思いにそそのかされましたが、自重しました。

矢筈岩と天狗岳が見えてくると登山道に落石注意の立札や階段が目立つようになりました。

成就ルートとの合流地点を過ぎるといよいよ石鎚山名物の二の鎖が登場しました。

鋭角に切立った岩場は(65メートルあるそうですが)見上げても終了点が見えません。

鎖といっても大きさにまず驚きました。
リングの径は登山靴の足がはまるほどもあって面食らいました。

多くの人が群れて間を空けずに登るのにもびっくり、みなさん逞しい。

クサリそのものを足場にする箇所があったりして、アルプスの鎖場とは別物ですが、
スリリングさを味わえて楽しかったです。

三の鎖は回避して、上りと下りが分かれて2列になったスチール製の階段を上りました。

石鎚山山頂は大変賑わっていました。

天狗岳に一筋ガスがかかってなんともいえないいい雰囲気です。

弥山の先から下って上る岩稜は慎重に行動すれば、見た目よりはよくできたルートで
10分ぐらいで天狗岳に到着しました。

暫くぼんやりとした時間を楽しみました。

下山すると「国民宿舎石鎚」のチェックインにはまだ早い時間でしたから、
面河ルートでも大丈夫だったかな。

剣山のキレンゲショウマは有名ですが、石鎚山にもキレンゲショウマが咲くそうです。
できたらキレンゲショウマの咲く頃に、
今回上ることのできなかったルートを歩いてみたいと思います。
 

百名山 100/80座

2010-11-14 登山

つづく


2014年1月7日火曜日

剣山(標高1995m)西日本第2の高峰


東京―徳島阿波おどり空港「1万円キャンペーン」を利用して四国の山旅に出かけました。

羽田発8:55の飛行機は10:15徳島空港に到着しました。

山旅のスタートは剣山~三嶺の縦走です。

空港でレンタカーを借りると徳島IC→美馬IC→見ノ越→名頃に直行しました。

名頃は三嶺の登山口です。明日はここが縦走の終点になるので登山口駐車場に車をデポします。

1日2本しかない13:43分発「剣山」行きのバスに乗客は私一人だけ、
14:08剣山見ノ越登山口に戻りました。

やれやれです。レンタカー屋さんに“バスに間に合う時間に名頃に着くのは厳しいかも”
といわれて縦走は半ば諦めていたのでほんとにヤレヤレです。

出発点に立てた安堵感に満たされながら、先ず剣神社に参拝。
きょうから1週間、四国の山を巡っての一人旅、旅の安全をお願いしました。

リフト脇の登山道を剣山山頂ヒュッテへ上り始めました。
大剣神社まで上るとお年を召したご夫婦に出会い、ベンチで少しお話しをしました。

御神水(おしきみず)まで上ってこられた由、
「おかげで(剣山にリフトがある)私たちもここまで上ってこられました、助かります。」と
仰っておいででした。

ご夫婦にお会いしたことでわたしも改めて剣山の魅力に思い当りました。
リフトだけでなく、山頂には山小屋があって登山客の安全を手助けしてくれています。
西へ縦走路を辿れば変化にとんだ多くのルートを楽しむこともできます。
老若男女一人一人が等しく満足できる山が剣山なのですね。

お二人と分かれて刀掛けの松を過ぎ、階段状の傾斜地をひと上りで、
剣山頂上ヒュッテに到着しました。
山小屋にお風呂がある事も意外でしたが、一番風呂に入れてもらいました。

翌朝日の出前に小屋を出て剣山山頂に登りました。
アンテナと木道の山頂は平家の馬場と呼ばれるイメージとは違いましたが、
確かに馬場のように広々とした山頂でした。

山頂南西の端にある一等三角点にタッチして南西のジロウキュウへと進みます。
鞍部まで下るとヘッドランプが必要なくなり、ピークを一つ越えるとゆったりと尾根道を
山頂に導かれました。

ジロウギュウ(標高1929m)山頂には男性が二人先着していました。

山名がジロウギュウとは変わっていますが、笈(キュウ)とは修験者が背負う箱の意味ですが、
剣山の別名が太郎笈であることから弟分の次郎笈と当てて呼ばれたようです。

写真を撮って貰ってジロウギュウにいとまごい。

山頂を西に進んで三嶺の縦走路に入りました。


百名山 100/79座

2009-11-12 登山

 三嶺に続く

2014年1月4日土曜日

浅間山(標高2568m)

浅間山はかつて1151名の犠牲者が出た大噴火の山です。
2004年、2008年、2009年に小噴火があり、現在も山頂の立入は禁止されています。

私たちが訪ねた2007年は噴火警戒レベル1で火口から半径500m以内立入禁止、
立ち入りが可能な最高点は前掛山(標高2524m)でした。


 


浅間山荘から(火山館ルート)樹林帯をなだらかに登り一ノ鳥居の先で谷ルートに入ります。
蛇堀川にかかる不動ノ滝からジグザグに傾斜を上ると二ノ鳥居に着き、長坂の急登を前に
ヤレヤレ休憩です。





長坂を登り終えると展望が広がるはずでしたが、ガスが邪魔します。


硫黄の匂いがしてきて硫黄が噴き出す川に沿ってザレ場を通過すると火山館に到着しました。
火山館の一階は噴火に備えるシェルターになっていました。
おしゃれなテラスに上がって見ると、浅間山の自然を紹介する展示が充実していました。
たっぷり時間を取りたいところですが、登山道に戻ります。




ひと上りで平坦な登山道に出て湯の平口分岐を過ぎるとトミーノ頭、黒斑山と続く第1外輪山が見えてきました。
黒斑山までしか登れなかった時期に浅間山に上ったことがあるNさんによると、外輪山から眺める浅間山は雄大で大迫力だそうです。
いったん樹林に入った登山道はJバンドへの登山道を見送り右に前掛山に向かいます。
前掛山の山腹を斜上する登山道は傾斜と不安定な岩礫の足元が苦痛でIさんの足が攣ります。
エビ色のオンタデが一面を彩る浅間山の肩に腰を下ろして足を休めます。
頭上に迫る広い斜面の目と鼻の先に浅間山の山頂はあるはずですが、傍らに「立入禁止警告板」が立っていました。




途中に壊れたシェルターが二基ありました。
頑丈そうな鋼材がへし曲げられ無残な光景です。

前掛山頂上にに到着すると槍の穂先が雲海に聳えていました。
浅間山は東に水盤を伏せた姿で無毛の黄土色の山肌をでんと据えていました。



浅間山荘の天狗温泉は、鉄分を含んで赤く濁っていました。
家に帰りついてもまだポカポカと温かったことを覚えています。


自宅5:00=東名=環八=関越=藤岡JC=上信越小諸=浅間山荘10:30…一の鳥居10:45
       …二の鳥居11:10…火山舘12:25…前掛山登山口13:00…シェルター14;00
       …14:30前掛山14:50…シェルター…草すべり分岐…16:00火山舘16:3 0
       …浅間山荘登山口17:40…浅間山荘で入浴19:00
       =上信越=藤岡JC関越=環八=東名=23:30自宅

2007-09-30 登山

百名山100/37座